エコカレッジ
地方創生事業の歴史

ヒストリー

地方創生事業

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2003何故か会社を仲間に託し、インド・マハラシュトラ州プネー市のIT企業にて約半年働く。大学は休学する。
2004大学やめるつもりだったが復学。
卒論がないという理由で地域産業論の大家、関満博氏のゼミに入り、どっぷりはまる。
墨田区のゼミ視察で株式会社浜野製作所の浜野慶一氏と出会い意気投合。
「なんでもすぐやる課・特命課長」を拝命。当時一般的でなかったウェブ受注を強化して取引先を30社→100社へ拡大。
2005関満博教授が当時島根県を研究フィールドとしていたこともあり、島根とのつながりが強くなる。そんな中、浜野氏の講演の鞄持ちで島根県出雲市へ。同市の産業支援NPOのIT導入支援アドバイザーに就任。月2回東京から島根へ通う生活スタート。
2006奇跡の大学院進学。修士論文の実証研究として、島根県隠岐諸島・海士町(あまちょう)と僻地教育に関心のある都会の若者をつなぐバスツアー「AMAワゴン」を主宰(~2009)。離島の隠岐島前高校が全国的人気校になるきっかけに。その後各県で移住体験バスツアー施策が導入されるモデルになる。
2009専修大学大学院・KSコミュニティビジネスアカデミー、非常勤講師就任。コミュニティビジネスと地域活性論・講義担当。
NPO法人・農家のこせがれネットワーク設立、理事就任。
2010島根県江津(ごうつ)市「過疎地域ビジネス創業検討委員会」委員就任。AMAワゴンの反響から江津の次世代の移住施策を立案するよう依頼を受ける。移住+創業をセットにした過疎地型ビジネスコンテスト「Go-con2010」を開催し、成功を収める。
2011江津市で中間支援NPO「てごねっと石見」設立、副理事長就任。
ビジコンも評価され、農家のこせがれ+島根県雲南市で何かせよと雲南市長から依頼を受け、担い手育成講座「幸雲南塾」スタート。地域の担い手不足問題の深刻化と、いい加減なカリスマ担ぎ上げの国の施策に異を唱えるべく、無理に起業させない・一般市民が地域でチャレンジを始める仕組みを構築。
2013雲南市の担い手育成の仕組みが評価され、中間支援組織の「NPO法人おっちラボ」設立。副理事長就任。
担い手育成手法が他県で取り入れられ、岡山県、石川県、宮城県へ横展開がスタート。
2014てごねっと石見が地方紙47社が審査する「地域再生大賞」にて大賞を受賞。江津市ビジネスコンテストは10年以上のロングランとなり、全国30ヶ所以上で導入されるモデルとなる。
震災復興の新たなリーダー発掘育成の仕組みとして宮城県南広域で「伊達ルネッサンス塾」が定着。宮城県山元町の一般社団法人ふらっとーほく理事就任。
担い手育成塾は全国7ヶ所へ拡大。
2015担い手育成塾は全国10ヶ所へ拡大。カリスマに頼らず「普通の人」がまちに関われる仕組みづくりを追求し、風の人としての生活が本格化。
2016担い手育成塾は全国14ヶ所へ拡大。
『ローカルに生きる ソーシャルに働く 新しい仕事を創る若者たち』 (松永桂子・尾野寛明 編著、農文協、シリーズ田園回帰5、2016年)発刊。
『日本のクリエイティブ・クラス』(小田切徳美、藤山浩、尾野寛明 ほか、農文協、2016年)発刊。
2017『無理しない地域づくりの学校 私からはじまるコミュニティワーク』(竹端寛・尾野寛明 編著 ミネルヴァ書房、2017年)発刊。
2018NPO法人おっちラボが第8回地域再生大賞・準大賞を受賞。
香川県高松市で同時に3つの非営利組織が立ち上がることになる(NPO法人わがこと、一般社団法人ぬくぬくママSUN’S、NPO法人学生服リユース協会)。副代表や監事として設立に携わることに。
2019島根リハビリテーション学院(島根県奥出雲町)特任教員就任。ソーシャルビジネス論、マネジメント論。制度に頼らない地域リハビリ拠点設置に向けて奔走中。
担い手発掘育成塾は全国19ヶ所で開講。
2020デジタルハリウッド大学(東京都千代田区)非常勤講師就任。ソーシャルビジネス論。